syrup16gは栄養になり得るという話

 

 

なんでもいいから何か自分の中にインプットしなければ、誰か他人の言葉写真音楽、Twitterでもなんでもいい、知らない人でもかまわない、自分ではない誰かの言葉を入れなくちゃ。

って、思って毎日毎日ベッドの中で一人丸くなって延々とTwitterを見たり、面白い物件を見たり、くだらない動画見たりしてたんだけど、もしかしたらそれは今の段階では無駄だったのかもしれないなって感じ。

 

今日久々にsyrup16を聴きながら台本を書いていたら、syrup16が完全に、所謂「作業用BGM」になった。

わたしは、人生で影響を受けたアーティスト第1位がsyrup16なんだけど、だってもう影響とかそういうレベルじゃない。骨肉、血液、細胞。身体の一部、ていうか人生の一部といっても過言ではない。

CDが擦り切れて馬鹿になるまで聴いた。高校を卒業した春にはじめて「HELL-SEE」を借りて聴いた時の衝撃よ。音質悪ッ!て思った。良くも悪くも聴き流せるし。それでもなんとなくいいメロディーだなとか、このフレーズいいなっていうのがあって何度も聴いて歌詞読んだらもうだめだった。特に「mouth to mouse」は本当にやばくて、幸せな曲も入ってるから余計に駄目だった。愛しかないとか思っちゃうやばいと同時に本気でいらないんだ幸せはやばいんだって歌えるやつなんなんだよ、躁鬱かよ。でもわかるんだよ、わかるというか、どっちも内在するのが人間なんだよ。言葉にしてくれてありがとう五十嵐隆

こんな風にsyrup16gで構築されたわたしの身体は、むしろ「何故今日までしばらくsyrup16gを聴かなかった?」みたいな反応をした。するすると耳を通ってそのまま身体中を駆け巡った。だから作業用BGMになった。本当の意味での作業用BGMになった。作業用BGMって邪魔にならない音楽を指すと思うんだけど、何聴いてもうるせえなって思ってたから最近やばいなって、いよいよだなってわーーーってなってたみたいなところある。それがどうだよ、iTunes起動してsyrup16gのアーティストページにたどり着き「mouth to mouse」を聴きはじめたら、頭が回りはじめた。栄養以外のなんでもないわこんなの。栄養じゃないなら何?睡眠?必要不可欠なものってことを表現したいんだけど、排泄?もうなんでもいいよ、わたしは一生syrup16gを聴き続けるし、葬式の一番最後に「パレード」を流してほしいよ。

syrup16gのこと鬱バンドとか言うやつのこと本当に信じられないし、心酔してるやつのことも心底馬鹿にしてるけど、わたしもわたしで、なんかもう人生の一部になっちゃったバンドって思ってるからクソキモいと思う。クソキモい。でも自分の一部だって胸張れるバンドや音楽がない人生なんかわたしは想像出来ないから、全然いいやクソキモくても。わたしはわたしの好きなものをわたしの手で選び取ることができた。それはわたしの人生においてこの上ない成功体験だから、わたしはこれを大事に大事にする。

 

今わたしに必要なのは他人の言葉でもインプットでもなくて、目を瞑って、自分ときちんと話をすることなんだと思う。最近どう?しんどい?こっちもそんな感じ。いろんな人が眩しく見えて嫌になっちゃうね。本当にね。誰にも優しくできないね。嫌になっちゃうね。そんな風に話して、どうにかこうにか明日が来ることを信じられるようになるまでやらなきゃいけないんだよきっとこれを。地獄を見るのだ。何しろ自分の中に天国も地獄も永遠も一瞬もあるっぽいから。