そのスープはどんな味なの?

 

 

三月の丘の上、あなたの手を離して、自由に躍る姿をみていたかった。

この言葉をくれたあの人、私のことを覚えているだろうか。最近になってようやく腑に落ちた自分の解釈があるから、忘れないように書いておこうと思います。

 

わたしがあなたの手を離しても、あなたがわたしを信じてのびやかに躍れるような、そんなわたしでいたい。

これがわたしの出した答えです。これは、きっとあなたの本意ではないのだろうけれども、それでもわたしにとってはわたしが出した答えです。正しさを求めたところであなたはいないし、そもそもわたしはあなたではないので。

 

あなたはわたしに教えました。誠実であれ。誠実ってなに?と頭を捻ること8年。あなたはとっくに隣にいないし、隣にいる人はくるくる変わって、人を裏切ることが上手くなる一方です。

手癖でうつくしい物語を書くことが上手になりました。それでもなけなしの純な部分を削って書いていたのですが、他人というものに疲れ切ってしまってこの有様です。どんなに物語がうつくしくったって、この物語があなたに、世界中にいる「あなただったひと」に伝わらないならなんの意味もない。

 

わたしの人生も黄昏時、立ち上がれなくなるまで擦り切れるまで何もかもなくなるまで、と思っていましたが、どうやらその時期を見過ごしてしまっていたようです。アイアムゾンビ。ゾンビほど肉も骨もないかもしれない。

かなしくはありません。人間は無になる、何故ならいつか死ぬからです。良かった。ボンバーマンみたいに命が複数あったとして、何度も死ぬのも、減ってく命を意識するのも、どっちも耐えられません。

わたしはわたしの死をいつも見つめています。何故なら人は憧れるいきものだからです。わたしにとって青くきらめく隣の芝生は、死、そのものなのです。

 

それでも一つ希望を持つなら。

生きとしいけるすべてのいきものが生まれてくる前、一つの大きな鍋の中にいたとして。おたまで掬い上げられたわたしたちが生きているだけ、死んだらまた鍋に戻るという集合的無意識か?みたいな、そんなルールがあるとして。そんなルールがあるとするなら、あの鍋の中でわたしとあなたはもう一度出会える。何故ならその鍋には金色に輝くスープが入っていて、わたしたちはこのスープなのだから。つまりわたしたちは、というよりもあなたはわたしでわたしはあなた、が正解。あなたはわたしで、わたしはあなた。あなた、は、わたし。わたし、は、あなた。そこに句読点はないのだ。皮膚もない、目もない、耳もない、口もない、鼻もない、自我もない、拘りもない。

でも待てよ。は、と気づく。それなら、わたしはあなたに会えたとして、あなたに気づかないのでは?あなたに気づかないのなら、あなたを愛することができない。あなたにごめんねもありがとうもさようならもこんにちはも言えない。だってわたしには口がなく、あなたには耳がない。わたしたちはスープだから。わたしたち、というよりも、わたしとあなた、あなたとわたし。わたし、と、あなた。あなた、と、わたし。句読点は必要。愛が必要としている、句読点を。どうしても一つになれない。愛を捨てれば、一つになれば、二度と離れることはないのに。どうして。どうして句読点を欲してしまうの、愛。三月の丘の上、あなたの手を離して、自由に躍る姿をみていたかったのに、どうして手を離してそのままなの。そのまま終わってしまったの。どうして終わってしまったの、愛。わたしたちはとろとろの、煮込まれた金色のスープのようであったのに。おたまに掬われたのはあなたなの?わたしなの?どうして夜は暗いの?どうして夜は深いの?どうして夜は広いの?どうして夜は寒いの?どうして寒いとさみしいの?どうして夜はさみしいの?あなたはこたえず背中を撫でたけど、どうしてその手が今はないの?なのにどうして朝が怖いの?どうして明日が怖いの?どうして?なんで?

 

こたえてくれなくたっていいけど、あなたの誠実は全然誠実じゃない。こんな夜に一人でいるのは、なんて、なんて、