毒をもって毒を制す

 

 

パソコンを開くことが苦痛だと感じられるようになったのはいつからだったか。

私が今使っているパソコンを買ったのは2014年の4月だった。この子が壊れるまでに何も仕事が来なかったら何もかもやめてしまおうと決めて購入した子で、どうにかこうにか2018年に仕事がきて、私は全てをやめずに済んだ。やめずに済んだと言えば聞こえはいいが、逆にやめられなくなったとも言える。

 

2018年、私はいよいよ駄目になってしまった。駄目になれたら楽なのにってずっと思ってきて、それでも駄目になるわけにはいかず、どうにかこうにか騙し騙し生きてきた。そのバランスが崩れてしまったのが夏の終わり。2018年、夏は驚くほど早くやってきて、気が付いたらいなくなっていた。半年も経たない程度の距離感なのに、いやに客観視してしまう夏だった。2018年の夏、色がやけにくっきり映る、緑と青ばかり残る夏だった。

まさにこんな夏を想像していた、2014年の2月。私はあの頃、久々に脚本を書こうとしていた。内臓を吐いてしまう奇病を患う男と、男性に触れることの出来ない女の話。匂い立つ春の埃の向こうにいる忘れられない人の話を書こうとしたのだけれども、結果として「川に行きたい。」という、私にとっての「月が綺麗ですね。」みたいな台詞を書くことになった。

 

最近気付いたのだけれども、私はどうやら未来のことを割と考えているらしい。

「たとえばのはなし、この世界の三分の二の財産を自分が持っていたとして、自分の娘に対してそれをどうやって使う?」

そのたとえ話に対して私は「一生娘を守る忍者の一族を雇う。」と答えた。その後少し考えて「あとはそれなりに、慎ましやかに暮らしていける程度のお金を手元に残して、世界中に均等に分ける。」そう付け足した。

だって順番通りにいけば私は先に死ぬ。私が先に死ぬのに、娘のことを貧困な世界に置いてはいけない。より良い世界に身を置いて欲しい。それでいてやっぱり私は娘が可愛いから、いざという時に娘を守ってくれる忍者と契約したい。

たかが想像だから色々な想定(お金をまいたことによって起きる戦争とかその他の平和でないこと)を吹っ飛ばしてこの結論を出しているけど、でも、未来なんて不確定すぎてこんなことしか言えない。忍者を選んだのだって、自分が知る限り一番義理堅そうだからっていうだけで、娘を守るのに適しているのがどんな人物かはわからない。そもそも娘だって架空の存在だし。

 

小さい頃、母親から「ぼのぼの」と呼ばれていた。いがらしみきお先生の「ぼのぼの」にそっくりだったから。まだ起こってもいない未来のことを考えて不安に思うことが多かったから。私自身はそこまで小さい頃の記憶がないから正直覚えてないとしか言いようがないんだけど、どうやら私のそういうところはその頃から変わらないらしい。私は今も「ぼのぼの」だ。少しずつ近づいてくる不確定な未来に対しての恐怖心を、じっくりコトコト煮込んで煮詰めて、結果として2018年、ガラガラと崩れてしまった。

 

「言いたいこと言えないようにしたのは自分じゃん。だって目の前にいなかったんだもん。いなかったから言えなかったんだよ。あの時言えなかったことを今になって言おうにも、今はもうあの時ではないから、もう何も言いたいことはないよ。言わせてくれなかったんだよ、あなたが。」

あの人は私と話をする時、唇を前に突き出しがちだ。それはだいたい不満があるから。不満があったり何か言い返そうとしたりする時、あるいは納得いかないことを納得しようとしている時に、口許がその形になる。

すごく考えてくれたんだと思う。そんなことはわかりきったことだったし、何を考えて、何を思ったのかなんて、想像するに決まってる。逆に想像してくれていたと思うし。想像力のない人じゃないから、私はあの人のことを好きだと思ったわけだし。

でもそれでも言えない、口が裂けても言えない。言いたくない、言えるような人間になるくらいなら死んだ方がマシ。

 

「私はあなたのことが好きだけど、私とあなたは決定的に合わない。あなたが悪いわけではなくてこれは完全に私の問題、意外と直情型なところが好きだけど怖い、私が言いたいことはきっとあなたには伝わらない、諦めてしまうくらいあなたが怖い。それは私があなたのことを好きだから。あなたの言葉を借りれば片思いなんだろうけど、両思いになりたいって思えば思うほど臆病になってしまう理由は、あなたにはきっとわからない。何故なら私は病気だから。」

 

パソコンを開くことが苦痛だ。とんでもなく苦痛だ。ノートを開くことすら苦痛に感じるようになってきた。2014年の4月、おじいちゃんに大金をもらった時「あ、パソコン買おう。」って決意した時点で私はもう逃げられなかった。本当はそれよりもずっと前から。2008年の2月から、2005年の4月から、2004年の2月から、もっとずっと前、覚えてないほど小さい頃、「ぼのぼの」だった頃からきっと、私はもう逃げられなかった。パソコンを開くのが怖い。あの人がデスクトップにいる。しかし私にはデスクトップを変えることができない。何故なら私はあの人のことが、まだまだずっと好きだから。このパソコンで打ちつけた言葉を、何度も何度も口にしたあの唇は、もう何百何千回と尖って、その矛先はこれからしばらく、あるいは永遠に、私に向いていて欲しかった。一番じゃなくてもいいと思ったのは、あの人だからだと思う。私はあの人に片思いをしていて、片思いのままでも構わなかったのだけれども、好きでいることそれ自体が毒になってしまったということ。それがとてもかなしい。

 

だけど私はパソコンを開かねばならない。

私はまだ見えない未来の話をすることしか出来ない。今が最強で最高なのは、そうなる未来を想像できる時だけだ。

だから私はパソコンを開かねばならない。

パソコンを開くのが苦痛になったのがいつからであろうと、私は明日からもパソコンに向かい続ける。そうすることで私は私の毒を切り売りして、私のことを嫌いにならないように、私と手を繋げるように、何度も何度も生まれ変われるように、生きていくしかないのだ。生きていくしかないのだ。生きるからには、パソコンを開かねばならないのだ。

 

パソコンを開くことが苦痛だ。血塗れの指で打ちつける台詞を、あの人に、言ってほしいと、死ぬまでの片思いを決意して。