布団の中でなきゃ書けないものもある

 

 

一日がどんなに楽しくても、あー楽しかったってしあわせな気持ちで眠れない夜ばっかりだ。もう朝だ。

真っ暗な部屋の中で書く文章はこの世界のものではなく、どこか遠い世界で起こっていることみたいだ。

あまりにも言葉を知らない私は、自分の辞書を夜な夜なひいて、ちょっとずつちょっとずつ、ここではないどこかを構築する。

右目が痙攣しているのは、真っ暗な中でブルーライトと対峙しているから。

季節は秋。これから寒くなればなるほど、夜は長くなっていく。秋の夜長よりもっと長く深く暗い夜。外の気温と大差ない部屋の中、吐いた息の白さを見たらその瞬間寒さに気付いてしまうだろう。だから私は毛布と掛け布団の中に潜りこんで、天井の低いあなぐらのようなその場所で、液晶画面に水滴をつけながら文章を打つことになる。これは未来の話のようで過去の話で勿論未来の話でもある。何故なら季節は巡る。何度も。何度も何度も。何度も何度も何度も。あの年のあの季節はもう来ない。なのに季節は巡る。何度も。何度も何度も。何度も何度も何度も。これは終わらない悪夢の話ではない。何故なら私はいつか死んでしまうから。死んだら季節なんてない。煩わしい人間関係も、責任も、信頼も、失いたくない誰かも、朝も、昼も、夜も、食欲も、性欲も、睡眠欲も、仕事も、締め切りも、道も、木も、水も、うるさい工事の音も、どこからか流れてくる夕飯の匂いと夕焼けも、夜に灯るやさしいアンバーの部屋明かりも、さみしげに通り過ぎる車の音も、はしゃぐ子供の声も、退屈そうに通り過ぎる他人も、聞きたくもない議論の声も、上の階に住む人の足音も、期待も、羨望も、憧憬も、憐憫も、嫉妬も、贅沢も、貧困も、春も、夏も、秋も冬も、また巡って来る春も、あの頃と違う夏も、掴む隙さえない秋も、終わりの見えない冬も、何もかも、何もかも、何もかもがなくなる。何もかもがなくなるのだ死ぬと。死ぬとすべてがなくなる。消えてなくなるのだ死ぬと私が。個が。1あったものが0になる。0になる。

私は0になる、いつか0になる。0になるから、今何やっても大丈夫。1は2になったり10になることがあったとしても絶対最後は0だから大丈夫。0になれるから平気。0は怖くない。怖いのは私が今1だから。0になると怖いのもなくなる。何もかも手放すことになる。何故なら私は死ぬから。死んだら0になるから。0は救いだ。熱々のスープの中に放り込まれて、私はぐずぐずにとけた具とも言えない具になる。誰も飲まないスープの色は、勿論誰も知らない。何故ならそこが0だから。0は空間ではない。0に時間はあるだろうか。時間がもしあるとしたら、この世で最も強いルールは時間なのかもしれない。ここではない遠く遠くの星にも、同じように時間が流れているとしたら?それともその星ではルールが違うのだろうか。私は統制のとれた話が出来てるだろうか。出来ていなかったとして別に問題はないのだけれども、ここはどこだろうか。こことはどこなのか、これは場所の話でもアイデンティティの話でもない、私の足の裏が踏みしめるここは、私の身体を横たえるここは、一体どこなのか。住所の話なんかではなくて、データの話でもディテールの話でもなくて。

まだまだ戦わなくてはならないのだとして、敵なんて本当にいるのだろうか。右目の痙攣は止まらない。びくびくびく、と鳴いている。声なき声で鳴いているせいで、それは誰にも聞こえない。だから私は安心する。安心して、もっと深く小さくなって、目を瞑ろうと決心する。眠れますように。信じる先も祈る先も持ち合わせていない、いつか0になる1より。